2011年5月27日金曜日

子どもたちよ、これがウリハッキョだ

오는 날엔 비가 내리는 날엔 눈이
아닌 모진바람도 창을 들이쳐 너희들의 책을 적시고 
뺨을 대리고 할퀴고 공부까지 못하게 만들어도 
아이들아 이것이 우리학교란다 초라하지만 하나뿐인 우리의 학교 
아이들아 이것이 우리학교란다
ニホンノガッコウヨリイイデス

雨降る日には雨が 雪降る日には雪が
激しく吹く風が窓を打って 君たちの本を濡らし
頬を叩いて 勉強までできなくしても
子ども達よ これが私たちの学校だ
見すぼらしいが ただ一つだけのウリハッキョ
子ども達よ これが私たちの学校だ 
ニホンノガッコウヨリイイデス

큼직한 미끄럼타기 작은 그네 하나 없서 
너희들 놀곳도 없는 학교지만 조국을 떠나 수만리 
이역에서 나서 자란 너희들에게 조국을 배우게하는 
아이들아 이것이 우리학교란다 서투른 조선말로 웃으며 희망을 품는
아이들아 이것이 우리학교란다
ニホンノガッコウヨリイイデス

大きいすべり台 小さなブランコ一つなく
君たちの遊ぶ場所もない学校だが 祖国から数万里
日本で生まれ育った君たちに祖国を教えてくれる
子ども達よ これがウリハッキョだ
拙い朝鮮語で笑って希望を抱く
子ども達よ これがウリハッキョだ
ニホンノガッコウヨリイイデス

この歌は、詩人・許南麒の作品の中でも特に有名な「子どもたちよ、これがウリハッキョだ」をもとに作られたものです。南麒は、解放直後に朝鮮学校の校長をつとめ、当局の朝鮮学校弾圧に対する教育闘争を子どもたちとともに闘いました。この詩には美しいメロディーがつけられ、頻繁に歌われています。

今年424日のシンポジウムでは、愛知朝高の李先生が「ウリハッキョは単なる<学びや>ではなく、もうひとつの<故郷>なのです」と訴えていましたが、この詩にはそうした在日朝鮮人のウリハッキョへの思いが見事に込められています。

最後のフレーズには、民族の尊厳を奪われた在日朝鮮人の子どもたちにとって、ウリハッキョが自分にとってどれくらい大切であるか、子どもたちの「気づき」と「意志」が込められていて、とても重要なフレーズだと思います。ともすればウリハッキョの「みすぼらしさ」を卑下していたかもしれない自分を乗り越えて、その「みすぼらしさ」の背景にある本当の「美しさ」、「誇らしさ」を掴んだ者の言葉。

しかし、残念ながらこの歌が様々な場所で歌われるとき、日本のみなさんに気を遣ってか、このフレーズを改変して歌われることが多いようです。しかし、それではこの歌の精神が伝わらないと思います。この歌は、ただただ感傷的なものではないはずです。


この「ニホンノガッコウヨリイイデス」という言葉の意味を、みなさん一度、考えてみて欲しいと思います。

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