2012年12月31日月曜日

安倍新政権の高校無償化法「改正案」に対するUSMの意見表明

 自民党の安倍新政権になり、いの一番に高校無償化法から朝鮮学校を排除するための「法改正案」が発表されました。
 民主党政権時においては、朝鮮学校を排除することに法的な正当性がつけられないために「判断を留保する」という形で実質的な排除を続けるといった「不作為の弾圧」が継続されてきましたが、これからは積極的に在日朝鮮人弾圧を行うことを「国民の理解」を根拠に推し進めるという立場の表明であり、明確に一線を越えてしまったといえます。

 奇しくも、「インターネット国民投票」なる擬似国民投票サイト(「ゼゼヒヒ」 http://zzhh.jp/questions/96)も登場し、朝鮮学校の無償化の是非について投票がおこなわれていますが、「国民の理解」や「世論」といったマジョリティの感覚にマイノリティの権利が左右され、マジョリティの理解が得られなければマイノリティの人権が侵害されて当然だという風潮が浸透していくのは極めて危険なことです。

 普遍的人権としてあらゆるひとも排除されない、権利を侵害されない社会を目指さなければならないのはもちろんですが、在日朝鮮人は日本にとって抽象的な「マイノリティ」ではありません。かつて植民地支配によって朝鮮民族の領土、資源、文化、尊厳などあらゆるものを収奪した加害者と被害者の関係であり、日本政府は植民地支配による加害行為の補償と尊厳回復のために、積極的に民族教育を保障しなければならないことは何度も確認しておかなければなりません。

 にもかかわらず、このような官民一体の朝鮮人弾圧に対し、言論機関であるマスコミが警鐘を鳴らすことすらしていません。毎日新聞では、高校無償化からの排除に対し以下のような社説を掲載しました。

社説:無償化見送り 排除にとどまらずにhttp://mainichi.jp/opinion/news/20121230k0000m070069000c.html
毎日新聞 2012年12月30日 02時30分

 政府は高校無償化を朝鮮学校に適用しないことにした。民主党政権で棚上げ状態にされてきた懸案だった。ただ、これでこの問題は終わり、ではないはずだ。
 高校無償化は、国全体で生徒の学びの機会を支えるための制度で、学校自体を援助するものではない。
 下村博文文部科学相は不適用の理由で、北朝鮮による拉致問題に進展がないことや、朝鮮学校が朝鮮総連と教育内容、財政などで密接に関係していることを指摘し、このままでは国民の理解を得られないとした。
 確かに北朝鮮は拉致問題解決に向けて誠意ある対応がみられず、ミサイル実験や核開発疑惑など、挑発的な示威行為も絶えない。
 また教育内容でも、北朝鮮の独裁体制の礼賛や独善的な見方がみられ、問題があるとこれまでも指摘されてきた。こうした状況では無償化の対象にすることへの違和感や反対する意見も多く出よう。
 だが、朝鮮学校に学ぶ生徒の大半は日本に生まれ育ち、将来も日本社会に生きる。教科学習も日本の高校に相当し、多くの大学は朝鮮学校卒業生に受験資格を認めてきた。高校のスポーツ競技でも交流は活発だ。
 生徒それぞれの学びの機会を経済的に支える、という制度の理念に、朝鮮学校の生徒を一律に除外するのはそぐわない。
 社会に根差した生徒たちを、単に排除的に扱うだけでは解決にはなるまい。他方、朝鮮学校や総連側も問題指摘には応えるべきで、社会の無理解があるというのならば、積極的な情報公開が必要である。
 開放性と校内外の情報共有は今の学校教育のキーポイントだ。
 その意味からいえば、前政権や文科省がこの問題についてどう審査し、判断していたか詳しく検証し、公開することも必要ではないか。
 高校無償化は民主政権の目玉公約の一つとして2010年度にスタートした。「各種学校」である外国人学校は、日本の高校に相当する程度であることなどを大使館を通じて確認、制度適用の対象になる。
 国交のない北朝鮮については専門家らの検討会議などで、適用対象である「専修学校高等課程」の要件を審査基準のベースにした。これでクリアするとも目されたが、北朝鮮による韓国砲撃事件で審査は止まり、結論は先送りになってきた。
 例えば、審査基準に教育内容の是非は含まないが、文科省は内容に懸念される実態があれば、学校側に自主的な改善を強く求めるとしていた。それらはどうであったのか。
 本来、生徒に罪や責任はない。単なる排除だけにとどまらない状況改善への模索を絶やすまい。

 この社説の問題点をすべて指摘はしませんが、「朝鮮学校にも変わるべき部分や情報公開が必要」といった言説は、マジョリティ自らの責任のサボタージュを朝鮮学校側に転嫁するものに他なりません。繰り返しになりますが、在日朝鮮人に対する政策は、植民地支配の歴史とその継続性・当事者性を抜きに語ることはできないはずです。本来であれば言論機関、マスコミはこのような問題の本質を指摘すべきところであるにもかかわらず、自らの責任をも放棄してしまっています。このような政治、言論の後退を看過することはできません。
 現在、政府では朝鮮高校を無償化法から除外するための「法改正案」に対するパブリックコメントを募集中です。http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000617
 1月26日までです。
 政府の「国民の理解」という言葉によって、一人ひとりの良心が値踏みされ、差別・弾圧の共犯にされようとしています。
みなさん、声をあげましょう。


2012年11月27日火曜日

日朝平壌宣言と朝鮮高校“無償化”除外問題から見える継続する植民地主義

【民主党政権により高校“無償化”制度が施行され2年半が過ぎましたが、いまだ朝鮮高校には適用されず、「議論を白紙に戻す」と文科大臣が発言し、問題が棚上げされたまま衆議院解散総選挙を迎えようとしています。ここで、USMとしてあらためて高校“無償化除外問題”についての意見表明をしておきたいと思います。】

 今年は2002年小泉訪朝時に発表された日朝平壌宣言から10年の節目の年です。平壌宣言から10年を経たいま、どのような視点から日朝間の問題と在日朝鮮人に対する差別・弾圧政策を問うていかなければならないかを改めて考えたいと思います。

直近の問題として、2010年の制度開始から2年半が経過した現在も高校無償化法(就学支援金制度)の対象から、朝鮮高校へ就学する生徒が除外されたまま「審査継続中」とされている問題について、世論は「朝鮮学校は『北朝鮮』および朝鮮総聯の関係団体であるため支給対象から除外すべきであり、朝鮮学校を除外するためには新たな『理由』を作り出しても構わない」というムード一色に染まっています。世論が排外的かつ差別的な空気によって醸成され、“ムード”によってこのような在日朝鮮人に対する差別が行われてしまっていることは批判されるべきなのは今更確認するまでもありません。

しかし、そういった世論に対抗するための言論自体も、世論に対抗しようとすればするほど徐々に植民地主義や同化主義といった外国人を支配対象とみなす方向に傾いてしまっていることを指摘しておかなければなりません。つまり、「朝鮮学校は反日教育をしていない」、「朝鮮学校は多言語教育やグローバル人材の輩出をおこなっており日本の国益につながる」、「朝鮮学校の生徒も普通の高校生、わたしたち(日本人)と同じである」といった対抗言説は、すなわち「日本の国益につながる、『準日本人』であれば『恩恵』の対象にすることもやぶさかでない」と言っているに過ぎません。裏を返せば「反日で、日本の国益に繋がらず、同化することのない異質なものであれば排除しても構わない」と言っていることになります。

この2年半あまりの間、多くの人々が朝鮮学校無償化除外問題に対する意見を述べ、それを見てきましたが、進歩的な立場を取ろうとしている人でさえも、在日朝鮮人を異なる立場と価値観を持つ尊重すべき他者としてではなく、“わかりやすさ”を求め、わからないものへの不信感、日本への同化や帰順をせまる強迫観念、異なる価値観との共存を前提としない排他的な価値観を否定できていない意見を述べてしまうといった場面がまま見られました。

在日朝鮮人の権利が、マイノリティの権利として、日本の少数民族のアイヌや沖縄の人々と同列に語られることもありますが、ここで忘れてはいけないことは、在日朝鮮人は、日本におけるアイヌや沖縄の人々などの少数民族とはまた異なった立場であり(もちろん少数民族が介入や支配を受けて良いというわけではなく、現状日本においてはアメリカのマイノリティ同様、“多民族国家日本”の枠組みに包摂されている事実があるのに対し、在日朝鮮人は祖国を持つ存在である)、日本の内部の”少数民族”の扱いとして日本によって直接的に介入されるべき対象ではないということです。※1。

民族教育を受ける権利も、どのような教育を行うか決めることも、どちらも民族的権利であり自主権です。そもそも日本政府が民族教育機関の教育内容を“審査”すること自体が不当であるにもかかわらず、それを不問にしながらも「朝鮮学校は日本の国益になる」などの論を基盤にした「定住外国人の権利を認めるかどうか」という論議が行われることは、すでに民族の自主権を侵害していることが見過ごされています。このような状況では、在日朝鮮人の“権利”に関する議論が、“恩恵”を施すのかどうかという度量の問題にすりかえられてしまいます※2。外国人の権利が日本のシステムへの利益還元の度合いによって左右されたり、国家および国家に自己を投影している人々のさじ加減で決めたりできるという幻想を抱いている以上、日本は植民地支配の精神性を克服できていないといえるのではないでしょうか。差別や排外に対抗しているはずの側が植民地主義や同化主義を採用してしまいやすいことは、日本が敗戦後植民地支配と戦争・戦後責任を放棄したまま現在に至ってしまったことと無関係ではありません。

 日本は敗戦後の戦後処理において、アジア諸国に対する「お詫びの気持ち(95年村山談話)」を示す一方で、教科書からは次々に植民地支配や侵略戦争に関する記述が改悪・削除され、閣僚や知事、首長が歴史を修正し被害者を侮辱するような発言を行なっても野放しにされるなど、本来の意味での真摯な謝罪と反省は行ってきませんでした。そして、賠償・補償金ではなく途上国支援の経済協力金、独立祝賀金といった名目の、いわば金にものを言わせる形で、自らの加害責任をごまかしてきました。
 
 そのような流れの中で、朝鮮民主主義人民共和国との“関係正常化”は、日本の植民地支配責任問題にいかに向き合い謝罪と賠償を行うことができるか、という日本にとっては最後に残された機会でした。しかしながら、その最後の機会も従前通りの経済協力によるごまかしの手法を踏襲する形で発表された日朝平壌宣言により失ってしまいました。植民地支配を「痛切な反省と心からのお詫び(02年日朝平壌宣言)」の気持ちを持って振り返るのならば、謝罪と賠償を行うこととあわせて植民地主義から脱却しなければならないのであって、間違っても経済制裁や在日朝鮮人への弾圧政策を推し進めるべきではありません。

 また、平壌宣言に謳われている日朝国交正常化に関しても、日本国家と日本人自身の主体的な脱植民地主義の過程において“正常化”がなされるべきであり、朝鮮高校の“無償化”除外問題における「国益か否か」というような、自らの利益のみを主眼とした議論と同じ形でなされるべきではありません。

 日本での議論は常に「試されるべき・変わるべきは朝鮮の側」であるかのような認識が当然のようになっていますが、高校“無償化”除外問題も日朝国交正常化や植民地支配問題も、主体的に問題に向き合い、加害の清算と現在まで続く歴史的な責任を果たさねばならないのはあくまでも日本の側であるということを今改めて確認しなければいけません。

 日本の植民地主義は現在まで克服されることなく一貫して継続しているということ、そして“わたしたち”はその歴史の継続性のうえにいる責任ある当事者であるということをしっかりと認識し、ごまかしではない本質的な議論がなされない限り、関係の”正常化”がなされることはないでしょう。

(T・S)

※1 梶村秀樹「定住外国人としての在日朝鮮人」『思想』1985年第8号、23頁。
※2 崔権一「在日朝鮮人社会と運動に対する攻撃の本質~朝鮮学校対する弾圧から見えてくるもの」『社会評論』2012秋、80頁。
    留学同中央「権利と恩恵」コチュカル通信』280号。

2012年7月25日水曜日

ウリハッキョの夏祭り


愛知のウリハッキョで開催されるのお知らせです

学生たちの文化公演や、朝鮮料理の屋台などもりだくさんの内容です♪


そして、地域、同胞社会でウリハッキョを支えている姿がみえてくると思います。


もちろん一般大歓迎なので、この機会にぜひウリハッキョに足を運んでみてはどうでしょうか^^

《日程》
7月28日(土)18:00~愛知朝鮮第七初級学校「ふれあいの夕べ(尾張瀬戸駅徒歩20分)
8月  5日(日)16:00~東春朝鮮初級学校「コリアンサマーフェスタ(春日井駅徒歩15分)
8月26日(日)16:00~名古屋朝鮮初級学校「トブロ祭」(名古屋駅徒歩10分)

2012年5月22日火曜日

【レポート】シンポジウム「多文化共生」論を問い直す―在日コリアンの視点から―

遅くなりましたが、4月22日に開催されたシンポジウム<「多文化共生」論を問い直す―在日コリアンの視点から―>のレポートです!

当日、会場にはUSMのブース企画として「南北コリアと日本のともだち展」より南北コリア、そして日本のこどもたちが描いた絵を展示しました。とても好評の企画でした。




当日は雨が降り、参加者が少なくなるかと心配しましたが、約70人もの参加者があり、大盛況のシンポジウムになりました。




まず、在日本朝鮮人人権協会の金東鶴さんが「朝鮮学校の歴史と民族教育の歴史」というテーマの報告において、朝鮮人の権利としての民族教育がどのように日本において位置づけられてきたか歴史的に検証し、日本の問題を浮かびあがらせました。




次に、獨協大学の非常勤講師である金泰植さんが「『相互理解の場』としての朝鮮学校のために」というテーマで報告。内容については、金泰植さん本人のブログでアップされていますので、こちらをぜひご覧下さい。
http://d.hatena.ne.jp/ktaesik/searchdiary?word=%2A%5B%BA%DF%C6%FC%C4%AB%C1%AF%BF%CD%5D(ブログ「泰然自若~ある大学非常勤講師の備忘録」)




次に、沖縄から日帰りでシンポジウムにかけつけてくれた琉球大学の野入直美さんは、アメラジアンスクールにおける実践を紹介。ここでは、日本社会の排他性が浮かび上がってくると同時に、朝鮮学校の歴史的な実践が、アメラジアンスクールなどマイノリティ教育にどれだけ意義のある実践だったかということが見えてきました。




2部のパネルディスカッションでは、愛知県立大学の山本かほりさん、名古屋大学の浮葉正親さんの司会によるパネルディスカッションを行い、会場の参加者とも議論を重ねました。特に、「多文化共生」と言う言葉がもつ「空虚さ」、そして運動実践につなげる困難さについて多く意見が交わされました。




そして、わたしたちUSMの紹介も行ないました。
引き続きメンバー募集中!!(切実)






最後に、今回のシンポ参加者の感想を、一部紹介したいと思います。




●「多文化共生」論から現在在日朝鮮人を取り巻く差別と排除を考える上で、また日本におけるマイノリティのアイデンティティ構築のための教育をテーマに考える上で、今日のシンポはとても刺激になった。
「多文化共生」の実践の上でのジレンマのような問題点、「多文化は日本の“国益”になる」や、マジョリティの寛容さに頼ったまま、支配的な関係を維持したままの、ある意味マジョリティや国家機関にとって都合良く耳障りのいい言説をマイノリティを支援する側が使わなきゃいけないということを知ることができた。そして自分自身もマジョリティに説明するときに似たようなことをしていることに気づかされ、深く反省する契機となった。
 その意味で金泰植さんの多文化共生といわゆる財界のいう“国益”は関係ないし、ことさらにマイノリティの子どもたちの“素晴らしさ”や“健気さ”を売りにする活動や支援運動に疑問を持てるようになった。刺激的な言葉に感謝したい。(無記名)


   公立学校が今の形のままでは多文化社会に対応していくことができない。実際に対応しきれない部分があらわになり、様々なところで破綻をきたしてきている。金東鶴先生のコメントにも「自分が何者であるのか、日本の学校では対応できない」との話もあった。
 朝鮮学校やブラジル学校様々なエスニックスクールという選択肢は自分が何者であるのか子どもが自分のアイデンティティを確立していく課程の中ではポジティブな効果があることだろう。アメラジアンスクールも然りだと思う。
 自分は公立学校で日本語教室を運営しているが確かに子どものアイデンティティは大きな問題であると思う。様々な国から外国につながる児童、生徒が来日する中、すべての国のためのエスニックスクールを作っていくことは現実的に難しい。そのため、少しずつでも公立学校が変わっていかなければならないと思う。(公立中学教員)




「とても興味深い内容ですが、だた『起承転結』の『起』の部分だけなのが残念。問題提起のみで解決等は何もない」という厳しい意見もありましたが、その意見をしっかりと受け止め、具体的な実践を展開していけるよう、USMはこれからもがんばっていきます!

2012年3月31日土曜日

シンポジウム「多文化共生」論を問い直す―在日コリアンの視点から―

2000年代に入って「多文化共生」という言葉が頻繁に聞かれるようになりました。1990年代以降、ブラジル人をはじめとするニューカマー外国人か急増したという社会状況をうけたものです。
「多文化共生」とは「国籍や民族の異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」(総務省)と定義されています。しかしながら、この「多文化共生」社会の構図の中に、在日コリアンは含まれてきたのでしょうか?
本シンポジウムでは、まず在日コリアンの人権や民族学校出身者のアイデンティティをめぐる状況を報告していただき、さらにそれらを沖縄のアメラジアンスクールでの実践と重ね合わせることで、「多文化共生」論を問い直したいと考えています。


日時:2012年4月22日(日)13時~16時

会場:名古屋大学 野依記念学術交流館 カンファレンスホール
地下鉄名城線「名古屋大学」駅下車 2番出口から徒歩3分
★入場無料、事前申し込み不要

パネリスト:金東鶴(在日本朝鮮人人権協会)
「朝鮮学校の歴史と民族教育の権利について」

金泰植(獨協大学・聖心女子大学非常勤講師)
「『相互理解の場』としての朝鮮学校のために」

野入直美(琉球大学・アメラジアンスクール代表代行)
「アメラジアンスクールから見えてくるもの」

司会:山本かほり(愛知県立大学)、浮葉正親(名古屋大学)

★会場では、USMのブース企画として「南北コリアと日本のともだち展」のこどもたちの絵を展示します。
http://homepage2.nifty.com/2002/friends/
「大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国・日本そして在日コリアンの子どもたちの絵を、ひとつの会場に展示して、絵でお互いを紹介しあい、わたしたちの間にある壁を乗り越える第一歩にします。」

主催:多文化多民族共生社会研究会(愛知県立大学 山本かほり研究室内)
共催:名古屋大学留学生センター
協力:USM(ウリハッキョサポートネットメンバーズ)

2012年3月1日木曜日

USM公開学習会のおしらせ

日本社会とヘイトクライム(憎悪犯罪)
~京都第一初級学校を巡る裁判を振り返って~

講師:金尚均さん(龍谷大学・刑法)

日 時:201238日(木)19開始

会 場:国際センタービル 4階 第3研修室
    地下鉄桜通線「国際センター」駅下車スグ

参加費:500円(定員50名)

主催:USM(웃음=ウリハッキョサポートネットメンバーズ)


学習会終了後、懇親会を予定しています。

[趣旨]
2009年12月4日、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」を名乗る団体のメンバーなどが、白昼堂々、京都朝鮮第一初級学校を襲撃した。その際、朝鮮学校を「ここは北朝鮮のスパイ養成機関」、子どもたちに対して「スパイの子ども」、「犯罪者に教育された子ども」、「朝鮮学校を日本からたたき出せー!」 等、おおよそ政治的な主張をしているように考えることのできない罵詈雑言を浴びせた。

2002年に小泉首相が訪朝した際に判明した拉致問題以降、朝鮮学校への高校無償化適用問題、大阪府の補助金停止問題、そしてそこに通う子どもたちに対する嫌がらせなど、官民一体で「北朝鮮バッシング」が繰り広げられている。

こうした日本社会の排外的な状況は、今日に至るまで植民地支配/戦争責任の曖昧さを引きずってきたことこそが元凶ではないだろうか。

在特会の朝鮮学校襲撃事件を「ヘイトクライム」の観点から、諸外国の法律を参照しながら検証する。