2014年6月24日火曜日

【おしらせ】映画『ウリハッキョ』上映会

名古屋大学コリアン文化研究会と共催で映画『ウリハッキョ』上映会を開催します。

ぜひぜひみなさんご参加ください!



◆とき・ところ◆
2014年7月10日(木)18:00開場 18:15開始(21:00終了予定)
名古屋大学国際言語センター(旧留学生センター)3F301
無料

◆企画趣旨◆
 朝鮮学校は、朝鮮が日本の植民地支配から解放された1945年以後、在日朝鮮人が奪われた言葉を取り戻すために各地に自らの手でつくった「国語講習所」をルーツとしています。
 この国語講習所は、次第に学校として整備されていきますが、当時、朝鮮半島にはまだ南北政府は成立しておらず、国家的な庇護のない中で在日朝鮮人が自主的に民族教育をおこなってきました。しかし、朝鮮半島情勢が悪化しつつある中、在日朝鮮人を治安統制の対象とみたGHQと日本政府は、朝鮮人による自主的な教育を行う朝鮮学校の存在を認めず、むしろ徹底して弾圧します。
 日本政府による民族教育の保障がない中、55年に結成された在日朝鮮人組織である朝鮮総聯のもとで朝鮮学校は体系的な民族教育機関として整備され、また、とりわけ在日朝鮮人の民族教育に関心を寄せた朝鮮民主主義人民共和国政府が朝鮮学校に対し国家的な支援を行ってきました。
  朝鮮学校は草創期より日本における差別と弾圧、そして祖国の分断により厳しい運営を強いられ続けてきた朝鮮学校ですが、朝鮮学校を取り巻く情勢は依然として厳しいものです。
 2010年度から始まったいわゆる「高校無償化」制度からも、各種学校として認可を受けている外国人学校のなかで朝鮮学校の生徒のみが制度の適用から除外されています。これは、朝鮮民主主義人民共和国や在日朝鮮人の各種機関・団体を網羅する連合会である在日本朝鮮人総連合会との関わりを問題とした政治的理由によるものですが、この適用の除外を受け、各地の朝鮮学校生徒約250人が原告となり国を相手に提訴しました。「高校無償化」を朝鮮学校生徒に適用しないことは違法であるということを訴えるこの裁判は、現在継続中です。
 このように様々な問題に直面する朝鮮学校ですが、実際に朝鮮学校はどのような場所なのか、朝鮮学校に通う生徒たちはどのような学生たちなのか、在日朝鮮人にとって朝鮮学校とはどのような場所なのか、そしてなにより朝鮮学校を通してみえてくる日本の問題をともにみつめ、考えるためにこの映画上映会を企画しました。

2014年5月20日火曜日

【活動報告】USMの学習会&座談会@愛知朝鮮中高級学校

みなさんおひさしぶりです・・・汗

USMは元気に活動中です!

5月10日(土)、愛知朝鮮中高級学校で学習会&座談会、学校見学会を開催しました。

学習会では朝鮮学校がどのような歴史的変遷を辿ってきたかについて学習し、その後、朝鮮学校草創期、当時の生徒の作文を基に1954年に製作されたドキュメンタリー映画『朝鮮の子』を鑑賞しました。




参加者による座談会では、愛知朝鮮中高級学校教員である鄭俊宣先生にお越しいただき、和気あいあいとした雰囲気のなか座談会は行われました。




その後、USMメンバーで持ちよった小説・参考書など計60冊を学校に寄贈しました。




最後に、朝鮮学校出身者の案内で学校見学会も行いました。
校舎内を歩いていると、声楽部の担当の先生に声をかけていただき、なんと…!中級部声楽部の教室、そして高級部声楽部の教室で、声楽部の生徒たちがわたしたちの為に一曲披露してくれたのでした!




その後、校舎内の愛知朝鮮中高級学校についてのパネルを見学するなど、充実の一日になりました。ご協力いただいた愛知朝鮮中高級学校のみなさん、本当にこまっすんみだー!!


今回の企画でUSMの朝鮮学校支援に対する理解を参加者で深める事ができたと思います。

今後も様々な形で、朝鮮学校支援の輪を広げたいと思います!

次回USM(予定)は・・・

①6月28日(土)お昼<覚王山・近現代史フィールドワーク>
②7月10日(木)夕方<映画『ウリハッキョ』上映会@名古屋大学>


のふたつ。かなりアバウトなので詳細は決まり次第、ブログ・ツイッターでおしらせします!



↑4月19日に開催された映画『60万回のトライ』鑑賞会の写真

USMに興味をもった方はいつでも連絡くださーいー♪

2013年10月4日金曜日

公開学習会《在日朝鮮人運動は何と対峙するか~在日朝鮮人への攻撃の本質とこれからの実践》

USMの公開学習会のお知らせです!

《在日朝鮮人運動は何と対峙するか~在日朝鮮人への攻撃の本質とこれからの実践》

●日時:10月26日(土)開場13:30
    開始14:00~17:30(終了後、会場にて食事懇親会)

●会場:名古屋コリアンスクール2階教室
   (JR/地下鉄千種駅徒歩15分) ※無料駐車スペースあり
    地図→ http://goo.gl/maps/JKCHf 名古屋市千種区豊年町8-23

●参加費:800円(食事懇親会2000円※学生等割引あり

●内容:報告とディスカッション

 【講師】
 崔権一さん(大阪朝鮮高級学校教員)
  報告①:「在日朝鮮人と運動に対する攻撃の本質」
 鄭栄桓さん(明治学院大学准教授)
  報告②:「解放後の在日朝鮮人運動~何と、どのように闘ってきたか」
 金東鶴さん(在日本朝鮮人人権協会事務局長)
  報告③:「在日朝鮮人の権利擁護・獲得運動の実践と成果」

 ★第2部ディスカッション司会:米津篤八さん(翻訳家)

 【趣旨】
 高校無償化制度からの朝鮮学校除外や排外デモ、ヘイトスピーチなど、在日朝鮮人に対する官民一体となった差別・弾圧が繰り広げられていますが、これは最近になってまきおこってきたムーブメントではありません。
 いま、あらためて戦前・戦後と一貫した日本の朝鮮人弾圧の歴史の中に現在の問題を位置づけて捉える必要があると考えます。「日本」を問うことを留保したままの、歴史的視点を欠いた「対抗言説」が、対抗する力となるよりむしろ空洞化、共犯化してしまっている状況をみても、その作業は重要です。
 一方、厳しい状況の中でも、これまでの在日朝鮮人の権利擁護・獲得運動は、粘り強い実践の中で多くの成果をかちとってきました。今回、在日朝鮮人の運動が、「何と、どのように闘ってきたか」をみることで、「何が変わり何が変わらなかったのか」、在日朝鮮人をとりまく問題の本質に対する認識を深めるとともに、これからの運動の論理を練り上げていく実践として、公開学習会を開くことにしました。

 みなさんのご参加をお待ちしています!


★会場の席に限りがありますので、懇親会含め、できる限り事前に参加を申請していただけると助かります!!(usm.aichi@gmail.comまで) 



【タイムテーブル】
●第1部~在日朝鮮人に対する攻撃の本質とは?その歴史と現在
13:30開場
14:00趣旨説明
14:05報告①
14:50休憩
15:00報告②
15:45休憩
●第2部~これからの運動の論理と実践
16:00報告③
16:45ディスカッション
17:30終了
●食事交流会
17:45~


★おことわり
学習会の運営に支障をきたす方の参加はお断りします。会場にて運営の妨害と判断した場合は退席していただきます。また、会場内での撮影、録音はお断りします。

2013年7月5日金曜日

【紹介】映画『ウリハッキョ』上映会@名古屋大学

7月4日、USMとも連携している名古屋大学コリアン文化研究会が主催となって、映画『ウリハッキョ』の上映会を行いました!



名大生を中心に約20人の参加者が、『ウリハッキョ』を鑑賞。

ほとんどがはじめてみる「ウリハッキョ」の姿に、いろいろな感想がよせられました。

とても意義深い上映会だったと思います。

以下、参加者の感想を一部紹介します。


※ ※ ※


「ウリハッキョに通う生徒たちは団結力があって兄弟のようでした。日本の学校にはない温かい雰囲気があってステキだなと思いました。学校外では日本の文化の中で生活しているからこそ、朝鮮人として生きることの意識や誇りが大きいのかなと感じました。日本での差別と戦いながら強く生きていれるのはその団結力と民族としての誇りがあるからだと思います。映画を観てウリハッキョの雰囲気を少しだけでも感じることができとてもいい機会でした。」(大学生)

「映画の中で、日本にいると在日朝鮮人として差別的な体験をしたり自分が朝鮮人であることを隠したりということが描かれていたが、在日朝鮮人の方々が堂々と朝鮮人と名乗ることができ、差別的な扱いをうけないような社会になってほしいし、ならなければならないと思う。『ウリハッキョ』で朝鮮人のアイデンティティを確立し、人のために同胞のためにと頑張るみなさんが素敵でした。」(名古屋大学1年)

「単純に映画に感動をしたし、それと同時に胸が詰まる感じがした。朝鮮学校に対する知識がなかったので初めて学ぶことが本当にたくさんあった。
映画を観ながら、自分の中にある固定概念に気付かされて、苦しいとも思った。メディアからの情報により、自分自身のアイデンティティを隠さなければならないような状況にしてしまっていることも目の当たりにした。
いろんな思いを味わって、複雑な、自分でもわからない気持ちでいっぱいだけれど、今日この映画を観られてよかったなと思った。」

「朝鮮学校の様子がわかるドキュメンタリーは初めて観ました。本などで読むことはありましたが、映像の説得力はより大きいものであると再確認しました。スタッフのみなさんにはこの作品がより多くの人に観てもらえるようこのような上映会を各地で開かれることを期待します。」

「生徒たちがまわりの人々を思いやりながら、みんなの愛情を受けて育っていることを自覚している点がすばらしいと思った。朝鮮学校への偏見をなくすためにも、この映画をたくさんの人に観てもらえたらと思った。北朝鮮の音楽が所々で聴けたのがよかった。」

한국에 사는 한국인은 자영스럽게 자신이 한국인이라는걸 알고 한국문화와 한국생활 해나가는 것이 너무나 당연한 것으로 받아들이고 살고 있지만 일본에 사는 재일코리안은 그것이 간단하지 않을텐데도 불구하고 생활을 유지해나가려고 노력하는 모습을 보면서 감동받았습니다.여기서 조선학교에 다니면서 자신의 아이덴티티에 대해 항상 고민하고 조선인으로서 살아가려고 노력하는 모습이 나같은 한국인보다 조선인 같이 보였어요. 한국인이지만,재일코리안을 한국인으로 부르지 않고 조선인으로 부르는것에 아직 위화감 느낍니다! 아무튼 자랑스럽게 느꼈습니다.
(韓国に住む韓国人は自然に自分が韓国人だということを知り、韓国の文化と韓国の生活をしていくことをあまりにも当たり前のように受け止めて暮らしているけれど、日本に住む在日コリアンはそれが簡単でないにも関わらず、その生活を維持していこうと努力する姿を見て、感動しました。ここで朝鮮学校に通いながら自分のアイデンティティについて常に悩み、朝鮮人として生きていこうと努力する姿が私のような韓国人よりも朝鮮人らしく見えました。私は韓国人ですが、在日コリアンを韓国人ではなく朝鮮人と呼ぶことにまだ「違和感」を感じます!とにかく、誇りに感じました。)
(韓国人大学院生)

「とても勉強になりました。朝鮮学校でとても活き活きしている生徒たちが一歩外へ出たとき、なぜ在日朝鮮人ということを隠さなければならないのか、私は納得ができません。うまく言うことができませんが、世界が平和になったらよいと思います。」(大学生)

「映画は楽しかったです。ありがとうございます。裁判必ず勝つようにがんばってください!応援します!いつかまた朝鮮学校にもう一回行ってみたいです!」(韓国人留学生)

「今までと違う観点で改めてこの映画を観てみて、本当にウリハッキョが在日朝鮮人運動の拠点であると感じたと同時に、だからこその負担は尋常じゃないなと思った。先生たちの心労を想像すると、いたたまれない気持ちに…。
また、編入生にももっと目を向けたいなと個人的に思った。ウリマルを喋れない苦痛と焦りでハッキョが嫌いになっちゃったりしないかなと心配になった。日高生が新しくウリハッキョに通うとなれば不安も大きいと思うので、徹底した国語(ウリマル)教育はもちろん、不安を抱える学生の心のサポート体制もできたらアピールできるなあ…と考えていた。自分がウリハッキョの力になるにはどうしようか改めて考える機会になった。」(在日朝鮮人大学生)

「すごく楽しそうでした。自分たちが守って愛していけるものがあることが大変だろうけれども羨ましくもあったりします。朝鮮学校について知ろうとして知れば知るほど自分がどこに立場を置くべきなのか分からなくなっていきます。今日は勉強になりました。」(大学生)

※ ※ ※


【おしらせ】
7月18日(木)14:00~名古屋地裁にて、朝鮮高校無償化除外問題に関する朝鮮高校生就学支援金不支給違憲国家賠償請求訴訟」の第2回口頭弁論があります。
たくさんの傍聴を呼びかけたいと思います。
当日は報告会はもちろん、抽選で傍聴できなかった方のために、簡単な学習会も準備しています。
※詳細⇒ http://mushouka.aichi.jp/2013/06/236 
(朝鮮高校無償化ネット愛知公式サイト)

2013年4月10日水曜日

朝鮮高校「無償化」除外問題が「試金石」であってはいけない


 USMは近年加速する朝鮮学校弾圧の流れに抵抗しようという意思を持つ愛知の日本人・在日朝鮮人有志のネットワークだ。朝鮮高校を「無償化」対象外とするため、政府は2013年2月20日付で省令を「改正」し、同時に申請中の各校を不指定とした。法廷闘争に突入したことによりさらなる継続的で広範な支援が必要となる一連の「無償化」除外問題について、「広範な支援」のために没歴史的に語ることによって日本の歴史的責任を不問にしてはならない、ということを焦点に、以下を提起する。

歴史的にみれば、日本政府には植民地支配による被害の原状回復義務として、在日朝鮮人の民族教育の権利を保障すべき歴史的責任と義務があるにもかかわらず、むしろ朝鮮学校を徹底して弾圧し閉鎖させ、現在まで一貫して民族教育弾圧を展開してきた。無償化問題は、戦前戦後一貫した日本の朝鮮人弾圧の歴史の流れに位置づけられるものであり、この歴史的観点を抜きに在日朝鮮人の民族教育の問題を語ることはできない。これは何度も確認しておかなければならない議論の土台である。

一方、いわゆる「リベラル」の視点から、「無償化」除外反対論において、「日本の度量・寛大さが試されている」といったロジック(2010年9月5日付朝日新聞社説「朝鮮学校無償化、日本社会の度量を示そう。速やかに実施を。」、2013年3月13日上野千鶴子Twitter @ueno_wan「教育はもともと未来への投資。日本社会の寛大さが問われています。」〈後に自ら削除〉)が見受けられるが、朝鮮高校生の就学支援金受給はそもそも法的な権利であり、不当に侵害されてはならないものだ。無償化制度を適用するという当然の対応が在日朝鮮人に対する日本の積極的な「功績」であるかのように語ることは問題であり、ひいては日本の加害の歴史に対する清算責任放棄を隠蔽する土壌をつくるものになるといえる。あくまで無償化の適用は、差別的取り扱いのマイナスをゼロにすることにすぎず、さらに遡及適用とその損害の賠償がなければゼロにすらならない。

また、「無償化」問題が俎上に載せられる過程で、自治体の補助金まで凍結される事態が相次いでいるが、自らの歴史的責任に言及することなく、「度量」を示すものとして在日朝鮮人の権利を「付与」するという言説は、自明の「権利」の問題であるはずの在日朝鮮人の民族教育権の問題を、日本の「度量」や「裁量」の問題にすりかえる危険なロジックである。

そして、「無償化」除外反対の擁護論として「『北朝鮮』の問題と朝鮮学校の子どもたちは関係ない」という主張もよく目にするが、確かに「拉致問題」「核実験」の責任を子どもに問うのは筋違いではある。しかし、「諸問題」を理由として日本政府が日朝国交正常化交渉を棚晒しにしたうえ、「制裁」まで行なっているのはそれが植民地支配責任から逃避として利用できる格好の材料とみなしているからであって、制裁の対象の問題ではなく、制裁政治パフォーマンスこそ批判しなければならない。また、「関係がない」という主張に関して注意が必要なのは、朝鮮学校はすなわち朝鮮民主主義人民共和国の学校ではないという含意がある場合、殊更にそれを強調し関係がないことによって正当性を主張しようとすることは、定住外国人としての在日朝鮮人の祖国との紐帯を分断しようとする暴力でもあるということだ。在日朝鮮人が祖国=朝鮮と関係があれば問題なのだろうか?

これは橋下大阪市長などの「北朝鮮や総聯との関係を完全に断てば補助金を支給する」というロジックの裏表である。祖国との関係をもつことは徹底して外国人の権利であって、干渉できるものではない。「反日教育」批判にいたっては、明確な他国・他民族に対する教育干渉であり到底許されるものではないし、干渉しうると前提しているのは払拭されない宗主国意識の現われではないか。また、祖国や総聯との関係を断つことで、在日朝鮮人を「難民化」させ、支配しようとする当局の欲望が垣間見える。こうした弾圧が繰り返されるのは、在日朝鮮人がただ「エスニックマイノリティ」だからではない。日本の歴史的犯罪を告発してやまない「政治的存在」であるからこそ、弾圧するのである。在日朝鮮人のその歴史性、政治的主体性をこそ奪おうとしている。

また、朝鮮民主主義人民共和国は、日本政府に対して植民地支配責任を果たすことを要求し、また、在日朝鮮人の民族教育を支援してきた国家である。その意味で徹底して「反日」である。しかし、だからこそ「反日」には普遍的意義がある。「反日」という言葉で拒否反応を示して思考停止するのではなく、その内実としっかりと向き合うことこそが今、求められている。

在日朝鮮人は、日本の民主主義(そんなものがあったのかどうかは疑問であるが)の「試金石」として存在しているのではない。「無償化」除外問題の本質である歴史性を無視したままでは、「無償化」除外問題がたとえ解決されたとしても、第二、第三の「無償化」除外問題を引き起こすことに繋がるのではないか。朝鮮(人)に対しては何を言ってもいい、というような空気感の中で、政府は「国民の理解」を口実に堂々と差別・弾圧を行っている。日本人一人ひとりのあり方が今、厳しく問われている。
(インパクション189号初出 2013年4月5日 インパクト出版会)


※愛知・朝鮮高校生に対する就学支援金不支給国家賠償請求訴訟のお知らせ

第一回期日・4月16日(火)14時~、名古屋地方裁判所 1号法廷
(傍聴希望者多数の場合抽選。13時30分までに地裁前にお集まりください。)
・・・弁護団長と原告2名の意見陳述と訴状要旨陳述(予定)

終了後、弁護団による報告集会。15時30分~@アイリス愛知
傍聴できない方も、是非ご参加ください。原告(学生)を応援しましょう!

2012年12月31日月曜日

安倍新政権の高校無償化法「改正案」に対するUSMの意見表明

 自民党の安倍新政権になり、いの一番に高校無償化法から朝鮮学校を排除するための「法改正案」が発表されました。
 民主党政権時においては、朝鮮学校を排除することに法的な正当性がつけられないために「判断を留保する」という形で実質的な排除を続けるといった「不作為の弾圧」が継続されてきましたが、これからは積極的に在日朝鮮人弾圧を行うことを「国民の理解」を根拠に推し進めるという立場の表明であり、明確に一線を越えてしまったといえます。

 奇しくも、「インターネット国民投票」なる擬似国民投票サイト(「ゼゼヒヒ」 http://zzhh.jp/questions/96)も登場し、朝鮮学校の無償化の是非について投票がおこなわれていますが、「国民の理解」や「世論」といったマジョリティの感覚にマイノリティの権利が左右され、マジョリティの理解が得られなければマイノリティの人権が侵害されて当然だという風潮が浸透していくのは極めて危険なことです。

 普遍的人権としてあらゆるひとも排除されない、権利を侵害されない社会を目指さなければならないのはもちろんですが、在日朝鮮人は日本にとって抽象的な「マイノリティ」ではありません。かつて植民地支配によって朝鮮民族の領土、資源、文化、尊厳などあらゆるものを収奪した加害者と被害者の関係であり、日本政府は植民地支配による加害行為の補償と尊厳回復のために、積極的に民族教育を保障しなければならないことは何度も確認しておかなければなりません。

 にもかかわらず、このような官民一体の朝鮮人弾圧に対し、言論機関であるマスコミが警鐘を鳴らすことすらしていません。毎日新聞では、高校無償化からの排除に対し以下のような社説を掲載しました。

社説:無償化見送り 排除にとどまらずにhttp://mainichi.jp/opinion/news/20121230k0000m070069000c.html
毎日新聞 2012年12月30日 02時30分

 政府は高校無償化を朝鮮学校に適用しないことにした。民主党政権で棚上げ状態にされてきた懸案だった。ただ、これでこの問題は終わり、ではないはずだ。
 高校無償化は、国全体で生徒の学びの機会を支えるための制度で、学校自体を援助するものではない。
 下村博文文部科学相は不適用の理由で、北朝鮮による拉致問題に進展がないことや、朝鮮学校が朝鮮総連と教育内容、財政などで密接に関係していることを指摘し、このままでは国民の理解を得られないとした。
 確かに北朝鮮は拉致問題解決に向けて誠意ある対応がみられず、ミサイル実験や核開発疑惑など、挑発的な示威行為も絶えない。
 また教育内容でも、北朝鮮の独裁体制の礼賛や独善的な見方がみられ、問題があるとこれまでも指摘されてきた。こうした状況では無償化の対象にすることへの違和感や反対する意見も多く出よう。
 だが、朝鮮学校に学ぶ生徒の大半は日本に生まれ育ち、将来も日本社会に生きる。教科学習も日本の高校に相当し、多くの大学は朝鮮学校卒業生に受験資格を認めてきた。高校のスポーツ競技でも交流は活発だ。
 生徒それぞれの学びの機会を経済的に支える、という制度の理念に、朝鮮学校の生徒を一律に除外するのはそぐわない。
 社会に根差した生徒たちを、単に排除的に扱うだけでは解決にはなるまい。他方、朝鮮学校や総連側も問題指摘には応えるべきで、社会の無理解があるというのならば、積極的な情報公開が必要である。
 開放性と校内外の情報共有は今の学校教育のキーポイントだ。
 その意味からいえば、前政権や文科省がこの問題についてどう審査し、判断していたか詳しく検証し、公開することも必要ではないか。
 高校無償化は民主政権の目玉公約の一つとして2010年度にスタートした。「各種学校」である外国人学校は、日本の高校に相当する程度であることなどを大使館を通じて確認、制度適用の対象になる。
 国交のない北朝鮮については専門家らの検討会議などで、適用対象である「専修学校高等課程」の要件を審査基準のベースにした。これでクリアするとも目されたが、北朝鮮による韓国砲撃事件で審査は止まり、結論は先送りになってきた。
 例えば、審査基準に教育内容の是非は含まないが、文科省は内容に懸念される実態があれば、学校側に自主的な改善を強く求めるとしていた。それらはどうであったのか。
 本来、生徒に罪や責任はない。単なる排除だけにとどまらない状況改善への模索を絶やすまい。

 この社説の問題点をすべて指摘はしませんが、「朝鮮学校にも変わるべき部分や情報公開が必要」といった言説は、マジョリティ自らの責任のサボタージュを朝鮮学校側に転嫁するものに他なりません。繰り返しになりますが、在日朝鮮人に対する政策は、植民地支配の歴史とその継続性・当事者性を抜きに語ることはできないはずです。本来であれば言論機関、マスコミはこのような問題の本質を指摘すべきところであるにもかかわらず、自らの責任をも放棄してしまっています。このような政治、言論の後退を看過することはできません。
 現在、政府では朝鮮高校を無償化法から除外するための「法改正案」に対するパブリックコメントを募集中です。http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000617
 1月26日までです。
 政府の「国民の理解」という言葉によって、一人ひとりの良心が値踏みされ、差別・弾圧の共犯にされようとしています。
みなさん、声をあげましょう。


2012年11月27日火曜日

日朝平壌宣言と朝鮮高校“無償化”除外問題から見える継続する植民地主義

【民主党政権により高校“無償化”制度が施行され2年半が過ぎましたが、いまだ朝鮮高校には適用されず、「議論を白紙に戻す」と文科大臣が発言し、問題が棚上げされたまま衆議院解散総選挙を迎えようとしています。ここで、USMとしてあらためて高校“無償化除外問題”についての意見表明をしておきたいと思います。】

 今年は2002年小泉訪朝時に発表された日朝平壌宣言から10年の節目の年です。平壌宣言から10年を経たいま、どのような視点から日朝間の問題と在日朝鮮人に対する差別・弾圧政策を問うていかなければならないかを改めて考えたいと思います。

直近の問題として、2010年の制度開始から2年半が経過した現在も高校無償化法(就学支援金制度)の対象から、朝鮮高校へ就学する生徒が除外されたまま「審査継続中」とされている問題について、世論は「朝鮮学校は『北朝鮮』および朝鮮総聯の関係団体であるため支給対象から除外すべきであり、朝鮮学校を除外するためには新たな『理由』を作り出しても構わない」というムード一色に染まっています。世論が排外的かつ差別的な空気によって醸成され、“ムード”によってこのような在日朝鮮人に対する差別が行われてしまっていることは批判されるべきなのは今更確認するまでもありません。

しかし、そういった世論に対抗するための言論自体も、世論に対抗しようとすればするほど徐々に植民地主義や同化主義といった外国人を支配対象とみなす方向に傾いてしまっていることを指摘しておかなければなりません。つまり、「朝鮮学校は反日教育をしていない」、「朝鮮学校は多言語教育やグローバル人材の輩出をおこなっており日本の国益につながる」、「朝鮮学校の生徒も普通の高校生、わたしたち(日本人)と同じである」といった対抗言説は、すなわち「日本の国益につながる、『準日本人』であれば『恩恵』の対象にすることもやぶさかでない」と言っているに過ぎません。裏を返せば「反日で、日本の国益に繋がらず、同化することのない異質なものであれば排除しても構わない」と言っていることになります。

この2年半あまりの間、多くの人々が朝鮮学校無償化除外問題に対する意見を述べ、それを見てきましたが、進歩的な立場を取ろうとしている人でさえも、在日朝鮮人を異なる立場と価値観を持つ尊重すべき他者としてではなく、“わかりやすさ”を求め、わからないものへの不信感、日本への同化や帰順をせまる強迫観念、異なる価値観との共存を前提としない排他的な価値観を否定できていない意見を述べてしまうといった場面がまま見られました。

在日朝鮮人の権利が、マイノリティの権利として、日本の少数民族のアイヌや沖縄の人々と同列に語られることもありますが、ここで忘れてはいけないことは、在日朝鮮人は、日本におけるアイヌや沖縄の人々などの少数民族とはまた異なった立場であり(もちろん少数民族が介入や支配を受けて良いというわけではなく、現状日本においてはアメリカのマイノリティ同様、“多民族国家日本”の枠組みに包摂されている事実があるのに対し、在日朝鮮人は祖国を持つ存在である)、日本の内部の”少数民族”の扱いとして日本によって直接的に介入されるべき対象ではないということです。※1。

民族教育を受ける権利も、どのような教育を行うか決めることも、どちらも民族的権利であり自主権です。そもそも日本政府が民族教育機関の教育内容を“審査”すること自体が不当であるにもかかわらず、それを不問にしながらも「朝鮮学校は日本の国益になる」などの論を基盤にした「定住外国人の権利を認めるかどうか」という論議が行われることは、すでに民族の自主権を侵害していることが見過ごされています。このような状況では、在日朝鮮人の“権利”に関する議論が、“恩恵”を施すのかどうかという度量の問題にすりかえられてしまいます※2。外国人の権利が日本のシステムへの利益還元の度合いによって左右されたり、国家および国家に自己を投影している人々のさじ加減で決めたりできるという幻想を抱いている以上、日本は植民地支配の精神性を克服できていないといえるのではないでしょうか。差別や排外に対抗しているはずの側が植民地主義や同化主義を採用してしまいやすいことは、日本が敗戦後植民地支配と戦争・戦後責任を放棄したまま現在に至ってしまったことと無関係ではありません。

 日本は敗戦後の戦後処理において、アジア諸国に対する「お詫びの気持ち(95年村山談話)」を示す一方で、教科書からは次々に植民地支配や侵略戦争に関する記述が改悪・削除され、閣僚や知事、首長が歴史を修正し被害者を侮辱するような発言を行なっても野放しにされるなど、本来の意味での真摯な謝罪と反省は行ってきませんでした。そして、賠償・補償金ではなく途上国支援の経済協力金、独立祝賀金といった名目の、いわば金にものを言わせる形で、自らの加害責任をごまかしてきました。
 
 そのような流れの中で、朝鮮民主主義人民共和国との“関係正常化”は、日本の植民地支配責任問題にいかに向き合い謝罪と賠償を行うことができるか、という日本にとっては最後に残された機会でした。しかしながら、その最後の機会も従前通りの経済協力によるごまかしの手法を踏襲する形で発表された日朝平壌宣言により失ってしまいました。植民地支配を「痛切な反省と心からのお詫び(02年日朝平壌宣言)」の気持ちを持って振り返るのならば、謝罪と賠償を行うこととあわせて植民地主義から脱却しなければならないのであって、間違っても経済制裁や在日朝鮮人への弾圧政策を推し進めるべきではありません。

 また、平壌宣言に謳われている日朝国交正常化に関しても、日本国家と日本人自身の主体的な脱植民地主義の過程において“正常化”がなされるべきであり、朝鮮高校の“無償化”除外問題における「国益か否か」というような、自らの利益のみを主眼とした議論と同じ形でなされるべきではありません。

 日本での議論は常に「試されるべき・変わるべきは朝鮮の側」であるかのような認識が当然のようになっていますが、高校“無償化”除外問題も日朝国交正常化や植民地支配問題も、主体的に問題に向き合い、加害の清算と現在まで続く歴史的な責任を果たさねばならないのはあくまでも日本の側であるということを今改めて確認しなければいけません。

 日本の植民地主義は現在まで克服されることなく一貫して継続しているということ、そして“わたしたち”はその歴史の継続性のうえにいる責任ある当事者であるということをしっかりと認識し、ごまかしではない本質的な議論がなされない限り、関係の”正常化”がなされることはないでしょう。

(T・S)

※1 梶村秀樹「定住外国人としての在日朝鮮人」『思想』1985年第8号、23頁。
※2 崔権一「在日朝鮮人社会と運動に対する攻撃の本質~朝鮮学校対する弾圧から見えてくるもの」『社会評論』2012秋、80頁。
    留学同中央「権利と恩恵」コチュカル通信』280号。